ゆいです。
先日、プライベートで沢登りに行ってきました。
下りてきて、汗を流そうと川で行水していたら、一組の兄弟が橋の下へ降りてきました。
そこから1時間ほど、僕は彼らに目を奪われていました。
彼らそのものというより、彼らのいる風景に、と言った方が近いかもしれません。
恐る恐る水に入る表情。
兄を追いかける少女。
途中、なにかを掴んだのか、ひとり遊びを始める。
ずっと、ずーっと石を投げ続ける。
遠くから呼ぶ声。
最後のひとつを投げ放ち、あがっていった女の子。
「美しいな」
そう思いました。
この美しさは、僕の郷愁が生み出した錯覚だという見方もありますが、それだけではないような気がしています。
確信に近い感覚で。
ここには何かある。
我々は、野外教育に携わる者として、価値ある体験を提供しようと日々取り組んでいる。
参加者が「学び」を得られるように。
「気づき」があるように。
明確なねらいや目的をもってプログラム提供する。
そこの価値は確かにあるが、違和感を感じることが少なくない。
「意図持ちすぎないことが大事なときもある」
「教育」の名の元に、そのエッセンスを取り出して、効果的なプログラムを作り出そうとするのではなく。
この美しさそのものを、大切にしていきたい。
今はそう感じています。