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スタッフエッセイ バックナンバー
このページは、メールマガジンンに掲載しているスタッフのエッセイを一月遅れで掲載していきます。スタッフが毎回、それぞれの思っていることや昔のことなどを書いています。いつもとは違った一面ものぞけるのでぜひお楽しみに!!

 
2014.6月
2014.6月

藤井 かすみ(かすみん)
「とちのき村との出会い」

平成8年(1996年)の5月にスタートした、自然の家が来年
(2015年)に開所から20周年を迎えます。
自分が20年前に何をしていたか・・・。を書こうと思ったの
ですが、文章に起こせるほどの話題になりそうもないので、
私がなぜこの施設で働いているのかを書いてみることにしました。

とちのき村を初めて訪れたのは、2003年3月24日でした。
3月のとちのき村にはたっくさん雪があって、驚きました。
当時の手帳に、「めっちゃ山の中にあるとちのき村に行ってきた。
グネグネ道で軽く車酔い・・・雪がいっぱいでソリで滑ってきた~」
と記録してありました。(笑)毎日日記をつけているわけでもない
のに、記されているということはすごくインパクトがあったという
ことでしょうね。
なぜ、訪れたかと言うと大学生だった私は地元にあるハチ高原スキー
場の民宿でアルバイトをしたり、小学生のキャンプのお手伝いを始
めたころでした。ちょうど、冬の雪山キャンプをするのでとちのき
村へ道具を借りに行くのが目的でした。
雪道には慣れていましたが、新屋からミカタスノーパークの間に見える
小代の谷をみて「すごいとこに行く。どこまで続くんだろう」
と思いました。その時の思い出、印象がいまでも目に浮かびます。
ようやくたどり着いた私たちに待っていたのは、誰も歩いていない
キャンプ場へ大きな荷物運搬用そりを引いて寝袋を取りに行きま
した。その道中で、「そのそりで滑っていいよ~」と、言われた
ので一緒に来ていた友人と二人でソリに乗り込み、大盛り上がり
で坂を滑っていくと、「目的地あっちだよー(笑)あがってきて
ねー」と・・・。
そんなことを私たちに行ったのは、現在所長をされているたか
さんです。
私の初めてのとちのき村体験は、こんな感じでした。

みなさんのとちのき村初体験記は、どんなものでしょう?
みなさんの心にもインパクト・思い出になっていればうれしいです。

2003年頃から時々、とちのき村を訪れ、キャンプのリーダーや
夏休みの館内清掃のアルバイト・ツリーイングのインストラクター
・自然学校の指導員などをしながら、気づくと今スタッフとして
働いています。
大学4年生の頃に、ぼんやりと「とちのき村で働きたい」と思い
はじめ、思い続け、2009年に出会いから6年かけて叶えること
ができました。

さて、あの頃の夢は叶いましたが、まだまだとちのき村でやりたい
ことはいっぱいです。

次は何を叶えようか。

2014.4月
2014.4月

山下 明美(アケ)

「20年前、、、」
  美方高原自然の家は来年で20周年を迎えます。その為に今施設では
 20周年特別ロゴが作られていたり、記念イベントを考えたりしていま
 す。そんななか、自分の20年前って何していただろうとふと思い出し
 てしまいました。
 
20年前は中学生で部活に力を注いでいました。私が入っていたのは
 陸上部で専門は走り幅跳びと砲丸投げをしていました。入部した動機
 は単純で、走りが速かったらどんなスポーツ競技をしてもそれなりに
 通用するだろうという安易な考えだったんですが、やってみると陸上
 の走りとか跳ぶとか投げるってシンプル過ぎて他のスポーツにそんな
 に役立たないんですよね(笑)
 
同学年の陸上部員もその当時は男女合わせて20名ぐらいおり、みん
 なで走りながら、とにかくよく声をかけ合いながら練習していたよう
 に思います。今考えると中学生のありがちな、自分達だけが分かる
 掛け声で、他の部からは何を言っているんだ??という感じでしたが
 箸が転がるだけでも笑える年代なので、常に笑いが起きてました。
 
そんなに強豪校ではない陸上部だったのと、個人競技なので練習
 態度や部活への意識は個人に任されることが多く、周囲に流され
 たり、流されずに練習に取り組んだりと、今思えば、自分が集中する
 機会や、モチベーションを上げたり、維持したりする機会の練習に
 なっていたなあと思います。今もそんなに意志が強い人間とは言い難
 いので、このエッセイを書いていて、そういえばあーしてたな、こう
 してたなみたいなのを思い出しては、変わっていないな~と苦笑いを
 浮かべています。
 
そんな普通な中学時代でしたが、今こうやって思い出せる内容が
 あり、充実した時間だったなーと思えることを考えると、自分に
 とっていい機会がたくさんあったんだろうなと思います。中学時代
 から20年経ち、あの頃の私が今の私を見たらどう思うんでしょうね。
 「えーっそっち系に進んだの??」と言われると同時に私らしいねと
 言ってくれそうだなーと思います。
 
みなさんの20年前はどんな感じでしたか?ふとこうやって振り返る
 のもなんか不思議な感じで面白いですよ。
 

2014.1月
2014.1月

□スタッフエッセイ 所長 田中 誉人(たかさん)

 今年は例年にくらべて雪が多く、但馬らしい冬となりました。
スキー場も盛り上がっているようですね。私の勤める美方高原でも、
連日子ども達の歓声に包まれています。雪があるだけで子ども達の
テンションも高くなるので、雪にはなんだか不思議な力があるようです。

 さて、「雪の色って何色ですか?」と聞かれたら、あなたならどう答え
ますか。当然白色と答える方が大部分のはず。でも、子ども達に
「雪の色さがし」としようと持ちかけて遊び始めると、いろんな色
について答えが帰ってきます。太陽の光を反射した銀色、金色、虹の色。
樹木や建物の陰にできる青色。黒色。泥の混じった茶色や緑色。朝方の
桃色。茜色。夕方の紺色。子ども達と1日雪の中で遊んでいると、実にた
くさんの「雪の色」を発見し、数えだすときりがありません。

 雪は人の数やお天気の数分いろんな色を持っているのです。雪は白色と
いうのは、大人の感覚だとあたりまえのことですが、この「あたりまえ」
という感覚は長い年月の内に体に染みついた先入観と世間の常識からくる
心の縛りが身についてしまったのかもしれません。

 私は日々の生活や自然体験の中で、一番邪魔者が先入観だと考えています。
自然の中は不思議の連続。時間やお天気によって見えるものや、動いている
ものが移り変わって行きます。その移り変わりこそが、その時にしか見えな
い自然の営みにふれた瞬間であり、その時感じた発見した驚きや喜びから、
感受性という器が大きく育まれていきます。感受性こそ心の豊かさを創造
する土台と言えるかもしれませんね。

 自然の中での遊びは、楽しみながら学べる最高の場。ぜひ子どもの発見を
否定しない関わり方を持ってあげてください。大人からの否定にびくびく
せず、自由に感じることを肯定された子ども達は、いつも笑顔に輝いてい
ます。自然の豊かな美方高原だからこそ出会えるすばらしい自然。
この良い環境の中だからこそ、力いっぱい自然の中で遊びましょう。

2013.11月
2013.11月

□スタッフエッセイ プログラムスタッフ 福島 正一(ショウ)
 『はじめてのキャンプ』ということでお題をもらったので、思い起こしてみる
と、人生初めてのキャンプがかなり異色な内容です。
 中学生の頃、120kmほどの距離にある母方の実家まで自転車で行こうと思い
立ち、自転車に1人用テントやキャンプ道具をくくりつけ、1泊2日の行程で出発
しました。
 利根川という川に掛かる橋の下にテントを張って、警官に注意されたことが思
い出されます。向こうの橋の下には、ダンボールの家で住んでいる人だっている
のだから、別にここにテントを張っても問題はないだろうと抗議してみましたが、
子どもの言い訳には取り合ってもらえず、もう2つ上流の橋の下にテントを張った
ものです。
 おまけに、ろうそくの火がフライシートに引火し、初使用の通販1万円テント
が傷物になりました。そんなこんなで、何とか疲労困憊でたどり着きましたが、
帰りも走って帰る気にはなれず、自転車は宅配して電車で帰るという顛末。

 キャンプというよりも野宿といった方がいいのか、こんなテント泊から始まった
“はじめてのキャンプ”でした。これに懲りず、カヌーで徒歩でとテントを担いで
あちらこちらに出かけ、キャンプにも慣れてきました。 

 この頃に比べたら、今では10日以上の山中キャンプから-20°の雪山キャンプ
に海外でのキャンプなど何でも行うようになってしまい、欲望は尽きるところが
ありません。暖かくなってきたら、岩の上か木の上で寝てみようか。次はどんな
所にテントを張ろうかと考えるだけで、顔がにやけてしまいます。

2013.9月
2013.9月

「はじめてのキャンプリーダー」プログラムスタッフ 石井 桂子(どん)
神奈川県にある団体に大学3年の冬に初めてキャンプリーダーとして
デビューしました。友人から「私も行くから一緒にキャンプに行こう!」
と誘われ友人も行くなら心強いと思い参加を決めました。しかしリーダー
同士の顔合わせの時にその友人の姿がなく聞くと「別のキャンプだよ。」
とあっさり言われました。半ばだまされた気分でキャンプに行き、右も左
もわからない私に他のリーダーが助けてくれました。高学年の女の子の
グループを担当しましたがグループワークも何も知らない私はただ一緒に
いることしかできませんでした。

キャンプの解散式の時にグループ子から「どんのグループでよかった。
ぎゅってして」と言いにきた時ととても嬉しかったです。この時から私は
キャンプにどっぷりつかってしまいました。大学4年の夏休みはずっと
キャンプに行ってばかりで親を泣かせたものです。

ただ友人からの誘いと子どもの発言がなかったら今この職業について
いなかったかなと思います。

2013.8月
2013.8月

「思い出に残るキャンプ」プログラムディレクター 藤井 かすみ(かすみん)

思い出に残るキャンプと言うタイトルをいただいて、自分にとって
「いつ」「どこで」やったキャンプの記憶があるのか通勤中の時間を
使って考えていました。

学生の頃からキャンプリーダーを始めて、いろんなところでキャンプ
をしてきましたがいざ、「自分」が参加者としてキャンプに関わった
ものを思い出してみると、断片的な記憶しかないことに気が付きました。
なので、思い出に残るキャンプの一場面をいくつか紹介します。

キャンプのことをお話しする前に、私の育った環境を紹介します。
私は兵庫県養父市(旧関宮町)で生まれ育ちました。
私が小学1年生の頃には地域に15人ほどの子どもがいたと思います。
当時はまだ活気があり、月に1度子どもだけで夜に地域の公民館に
集まり何かの決め事をしたり、お祭りの出し物の練習をしたり、
「火の用心」と言いながら夜の地域を歩き回ったりもしていました。
子どもが少ない!と思われる方もいらっしゃると思いますが、私は
6年間1クラス18人の学級でした。これは多い方で、その他の学年は
もっと少なかったのです。

さて、本題に戻り、当時地域の子供会で年に1回山か海にキャンプに
でかけていました。私が今でも鮮明に覚えているのは、山のキャンプ
での魚つかみと肝試しとキャンプファイヤーとトイレ、海のキャンプ
の浜辺でのテント泊です。とはいえ、魚つかみは掴んだところしか
記憶にありません。肝試しではゴリラのお面を被った人がでてきて、
泣きました。キャンプファイヤーはとても大きなファイヤーで風で
舞い上がった火の粉が体に触れて、泣きました。
こう考えると、この時のキャンプは「泣いた」ことが多いから思い出
に残ったのかもしれません・・・。
付け加えるとすれば、宿泊したキャンプ場のトイレがボットン便所で、
夜は電気もつかないので懐中電灯片手にドキドキしながらトイレに
行きました。海のキャンプでは、寝相が悪く三角テントからはみ出て
寝ていて、「かすみちゃん、テントから出てるよ~」と声をかけられ
て、またゴロゴロと回転しながらテントに戻りました。このはずかしい
記憶が寝ぼけていたにもかかわらず鮮明に思い出されるのです。
これまた私の失敗談?です。

これだけをお話しすると、私がなぜこの仕事についているか分からない
ような、思い出をお話してしまったような気がします・・・。
でも、幼少の頃のさまざまな経験が私をこの仕事に就くきっかけの
1つ1つになっています。

みなさんの思い出は、どんなものなのでしょうか?私と同じように
おもしろい思い出をお持ちの方、ぜひお会いした時に教えて下さい。

2013.7月
2013.7月

古岡 恵祐(ふるさん)

「学生時代の山の思い出」 
  私は学生時代、全くと言ってよいほどキャンプとは無縁の世界で、
  競技スキー、クロスカントリーに没頭する毎日でした。いろいろ
  なスキー場(スキー場と言ってもゲレンデではなくクロスカントリー
  コース)合宿や大会で遠征し山々に接する機会は多くありました。
  しかしながら、景色や自然を満喫する余裕もなく汗だくで走り回る
  毎日、登山といってもトレーニング。高低差1,000mを駆け上がり
  それを1日3回・・・山はトレーニングの場であり、苦しい思い出
  しかありませんでした。北海道、青森、新潟、山形、長野。特に
  長野には一か月単位での合宿生活。今思えば、OFFの日ぐらい自然
  の中でゆっくり過ごし楽しめばよかった・・・
  社会人になりこの仕事に携わり、自然と毎日向き合うお仕事。
  学生時代に行った山々へもう一度、行ってみたいなあと思ってい
  ます。今度は山々の自然を楽しみに滑りに行きたいなあ。そんな
  ことを考えながら仕事しています。

2013.6月
2013.6月

はじめての登山キャンプ

7年前の9月に、初めてテント食料をもち2泊3日で槍ヶ岳登山キャンプをしました。はじめての3000m級のアルプス、テント、食料、水をふくめ20kg近い装備を担いでの登山、計画段階から当日までドキドキワクワクな日々をすごしました。
岐阜県の新穂高温泉から入山し、1泊目は双六岳直下のキャンプ指定地で予定通りテント泊をしたのですが、おもいのほか時間がかかり、夕方5時近くにようやくテント場についてときには夕暮れまじかで、不安からのほっとしたことを鮮明に覚えています。夕闇がすすんで周辺に霧が立ち込め、怖い感じがしました。翌日の5時に行動を開始するため20時ごろに一度寝付いたのですが、夜10時ごろ目が覚めてテントから出てみると、見たことがないような満天の夜空が一面にひろがって、夜空に圧倒されるような感じでした。天の川はもとより、1つ1つ
の星々や赤色、青色の恒星などもはっきり見えて、30分ぐらいマットを外に出して夜空をながめていたと思います。
翌朝は、暗いうちからテントを片づけ、いよいよ槍ヶ岳山頂にむけて出発しました。すぐに周囲が白みはじめ赤紫色の朝焼けに空がそまり、眼下の標高2000m付近に雲海がひろがって、荘厳な風景を見ることができました。この日の午後には槍ヶ岳山頂に到着し高度感ある岩場でテントを張り1夜を過ごし、翌日無事に下山しました。登山のはじめごろは、重い荷物に苦しくていつ引っ返そうかとか、後悔ばかりをしましたが、がんばった自分の実感と満天の夜空や、朝焼けの絶景を堪能できた登山キャンプは日帰り登山よりすごい経験だったなーと思います。今でも登山をするときは、山キャンプをやり続けているのも、そんな魅力を感じたからかもしれません。

2013.5月
2013.5月

「はじめてのキャンプ」広報部スタッフ 山下 明美(アケ)

  私のはじめてのキャンプは小学校2年生の時に、地元で所属していた
 ガールスカウトで行った若狭でのキャンプでした。みんなで貸切バス
 に乗り込みワイワイとしながら行ったこと、キャンプ場に着いて野外
 炊事をしたこと、若狭塗のお箸をつくったこと、夕日が海に沈む風景
 を目にしてきれいだと思ったこと、いろんな思い出が今でもはっきり
 思い出します。

  キャンプなど野外での体験は、自分たちが持っている五感をフルに
 使っているように思います。いつもとは違う環境、予想しない状況に
 自分や自分たちが出せる力を出す、そんな機会がいっぱい詰まった
 キャンプをすることで、子どもたちもそうですが、大人であっても
 改めて見えてくる自分の姿を感じる機会がないでしょうか。その姿
 にはもしかすると意外な自分の姿もあるかもしれません。ただ「楽し
 かった~」と思うキャンプでも、その楽しかったと思うまでには、
 様々な気持ちを積み重ねていることでしょう。
 
  昔、お世話になっていた指導者の方から、旅やキャンプには3つの
 楽しみがあると言われました。まずは準備をしながら、どんな旅にな
 るかわくわくとイメージする楽しみ、そして旅行中に実際に体験する
 楽しみ、旅行後いろんなことがあったな~と思い出す楽しみ。この3
 つのうち旅行後の思い出す楽しみは特に、その人が繰り出す言葉や行
 動、考え方に表現されていくことでしょう。

  これから夏にかけて、様々なところでキャンプがされます。どんな
 内容のキャンプかが選ぶ基準となってくるでしょうが、どんな楽し
 みが残るかを考えてキャンプを選ぶのも一つの基準になるかもしれま
 せん。みなさんにとっていいキャンプや旅に巡り合えるといいですね。

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